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なんまんだぶ

2012年7月16日

「口耳四寸」


「口耳四寸(こうじしすん)の学(がく)」という言葉がある。デジタル大辞泉によれば
《「荀子」勧学から。口と耳との間でする学問の意》聞いたことをそのまま人に伝えるだけの、身につかない学問。受け売りの学問。
ということらしい。(コトバンク>「口耳四寸の学」より)

上記の通り、耳に入ってきた言葉を、全く自分というフィルターを通さず、疑問や考えなしに耳から四寸下の口からそのままアウトプットすることを言うようだ。一般的にはあまり良い意味では使われない。

ところで、仏教の経典の殆どは「如是我聞(にょぜがもん)」 もしくは「我聞如是(がもんにょぜ)」という言葉から始まる。
これは、仏教の経典というのは釈尊の著作ではなく、釈尊が涅槃に入った後、釈尊のお弟子さんである阿難尊者(あなんそんじゃ)が「私はこのように(お釈迦様のお話を)聞きました」と書き残したためという。いわば、仏教の経典に書かれていることは、口耳四寸の教えであろう。もし、佛の言に、聞いた人の領解の言葉が含まれてしまったり、もしくはその領解にあわせて言葉が抜き取られてしまっていたら、それは仏語では無い。禅宗では教えを師から弟子に受け継いでいくことを、コップに注がれた水をそのまま空のコップに注いでいくように、教えを伝えていくらしい。仏教は聞いた教えをそのまま伝えていく。まさに口耳四寸の学であるからこそ、ありがたいのかもしれない。

とはいえ、親鸞聖人の教行証文類を開くと、引文してきた漢文を(おそらくあえて)読み変えされていて「よくこんな読み変え出来るなぁ。」と、オソロシイ引文の仕方をされていたりするのであるが、これは言葉そのものではなく、言葉の表しているところをみているからこそできることなのかもしれない。また、大乗非仏説とかいうことを主張されてる方もいるが、そのへんのことについては、別の機会にまとめよう。

ここ数日ブログをどうしようかといろいろ考えていた。自分の学んだこと、聞いた話を受けて、それに自分の領解や味わいを付加し、面白く、わかりやすく、お念仏の教えをシェアしたい、と思いながらも、いざ文章を書き始めると、言葉の壁の前にウロウロとして結局放り出してしまう。(事実下書きにたくさん書きかけの記事があるけど、とても公開できるほどの記事になってない)

師には常日頃「言葉を超えたところの話を、あえて言葉にして伝えてくださっている教えだからこそ、お念仏の教えというのは、言葉に厳しくなければいかん。」と示していただいている。だからこそ、いざ聞いた話を元に記事を書こうとしても、自分の言語能力に疑問を感じ、言葉を発することが怖くなってしまう。言葉はオソロシイ。

であれば「如是我聞」私も同じように、聞いた話をそのまま受け売りでシェアするしか無いなと、ブログのタイトルを「口耳四寸記(こうじしすんき)」として、言葉を残していくことにした。実は、この口耳四寸の学というのは、これはこれで難しい。聞いた話を聞いたままに伝えていくことは、自分の意見を廃し、自分の余計な領解がふくまれることで、正しく言葉が伝わらないことがあるかもしれないからだ。自己の承認欲求が先に立つと、この口耳四寸の学というのは難しい。もともと他人の言を自分の言葉のように受け売りすることも承認欲求のはけ口的なことかもしれないが、本当の受け売りというのは、承認欲求を廃したところにあるのかもしれない。

さて、この「口耳四寸」という言葉、お念仏にも深く関係がある。
法然聖人のご消息や問答をまとめた「拾遺黒谷語灯録」というのがあるがその中に、
「(お念仏の声は)我が耳に聞こゆる程に」と言う言葉がある。(参照)*
お念仏のする時の声は、大きければいいのか、それとも小さいほうがいいのか?と、慈海にもたまに質問される時があるが、この法然聖人の言葉を受けて、慈海は「お念仏は仏さまの呼び声。その呼び声が自分の耳に聞こえるほどで良いのでは」とお話している。
我が口から飛び出て来なさった仏さまが、四寸上の我が耳に届くほどに、お念仏されればよろしいのでしょう。


「口耳四寸」私の耳に入ってきた仏の教えが、私の口からそのまま出ていくように。
そして、私の口から出てきた佛が、そのまま私の耳に届く程に。

合掌 なんまんだぶ


*「拾遺黒谷語灯録」下記箇所について詳細別記事で後日更に深める予定
三業とは、身と口と意とを申候也。しかも仏の本願の称名なるかゆへに、声を本体とはおほしめすへきにて候。さてわかみみにきこゆる程に申候は、高声念仏のうちにて候なり。高声は大仏をおかみ、念ずるは仏のかずへ[40]もなど申げに候。いつれも往生の業にて候へく候。

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合掌 なんまんだぶ