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なんまんだぶ

2011年12月21日

今、多くの人に聞いてもらいたい福井吉崎「念力門」の話 <第3回(全3回)>

5.念力門

戦争、そして震災で多くの方が亡くなりました。多くの家屋が倒壊しました。この世は無常です。どれだけ幸せな毎日を望んだとしても、どれだけ平和な日常を望んだとしても、人の思いだけではどうしようもできない、時として、儚い現実が唐突に襲ってきます。それは当時だけの話ではありません。今から約2500年前のお釈迦様の時代でも、約800年前の親鸞聖人の時代でも、約500年前の蓮如上人の時代でも、約60年前の戦後の時代でも、そして現代でも、それは変わりません。「生老病死」の苦しみから、私たちはどうしても逃れることができません。

しかし、時代を超えて、「なんまんだぶ」と念仏を繰り返しながら、この無常の世界を、変わらぬ仏の慈悲の呼び声を聞きながら、生きていった人々がいます。16両の荷車に運ばれる天狗門の周りには、無数の人の口から溢れる、たった一つのお念仏がこだまします。


2011年9月3日

今、多くの人に聞いてもらいたい福井吉崎「念力門」の話 <第2回(全3回)>

3.本願寺の門を吉崎西別院へ

福井市街は3年の間に、大空襲、そして記録的な震災により、2度破壊されました。
震災が発生した当時はすでに戦争は集結していたものの、日本はGHQの統治下にありました。
日本国内では大きなイデオロギーの転換が進められ、政治的にも社会的にも大混乱の時代でした。そんな社会情勢の中、震災により、およそ3,800人の方が亡くなり、36,000軒以上の家屋が倒壊したといいます。戦争が終わり、大空襲の被害からようやく復興の芽が育ちかけてきたその時、再び街は壊滅状態になりました。

被災後九頭竜川で水浴びをする方々
右上は地震のあとくずれ落ちた国鉄の鉄橋

まさに、この世は無常。

2011年9月1日

今、多くの人に聞いてもらいたい福井吉崎「念力門」の話 <第1回(全3回)>

1.北陸における念仏信仰の拠点であった「吉崎御坊」

蓮如上人
福井県と石川県の県境に、吉崎御坊跡という史跡があります。
ここは、浄土真宗中興の祖と言われる、蓮如上人(本願寺第八世法主)という方が、北陸における布教の拠点として建立した坊舎でした。

旧越前国北潟湖畔の吉崎山頂上に建立された吉崎御坊には、多くの門徒(浄土真宗信者)が集まり、賑わい、寺内町も発展して行きましたが、その後一向一揆の拠点にもなったことから、永正3年(1506年)に朝倉氏によよって破壊されました。

しかしその後、吉崎山のふもとには、本願寺派(お西)の吉崎西別院と、大谷派(お東)の吉崎東別院が建立され、蓮如上人往生後も。上人を慕う全国の門徒衆が多く参拝に訪れ、北陸地方における信仰心の拠り所の場所となっておりました。


大きな地図で見る 吉崎御坊跡の位置

海までの道を歩いたロードストーリー的な思い出話

彼の名前は、仮に"ヨタロウ"ということにします。
ヨタロウは、よく言えば、自分の世界をしっかりと持った個性ある性格の持ち主ですが、悪く言えば、自分勝手で頑固なやつでした。
彼とは中学校時代からの友人で、とても変なやつでしたが、なぜか私とウマが合い、気がつくと、いつもつるんで悪さをしたり、悪さをしたり、大人になっても一緒に悪さをしたりしてばかりいました。

あるとき、中学時代担任だった先生が、教師をやめてサーフショップを始めたのがきっかけで、ヨタロウと私はサーフィンをはじめました。
毎週のように二人で海に行って、波乗りの楽しさ、テクニックについて分析したり、アドバイスしあったり、そして自然と遊ぶことの精神性的なことを語り合ったり、自分の将来の夢とか語ってみたり、そういう時期がしばらく続きました。

しかし、ある出来事をきっかけに、私の事情が大きく変わって行きました。

2011年8月31日

宗教は沈黙であってほしい。~「沈黙を聞く」というということ~

今は福井の片田舎で、一人でぶらぶらしている私ですが、昨年(2010年)の夏までは東京でインターネット関係の仕事をしていました。

多くの会社を転々としていましたが、ある一時期務めていた会社の近くに、自由に出入できるキリスト教の教会がありました。

色々なことがあり、精神的に不安定だった私は、お昼休みの時間を使って、頻繁にその教会の礼拝堂にこもり、十字架に向かってどうしたらいいかを訪ねていました。

仏教どうでしょう?


今近くに窓ガラスはありますか?どうでしょう?ピカピカでしょうか?

窓の汚れは気になるもので、一度気になったらもうダメで、「ざっと拭いとこう」なんて思ったらもう終わりです。ざっと拭いたら隅の汚れが、隅を拭いたら拭きスジが、乾拭きしたら拭きムラが……。
「新聞紙で拭いたらいい」と聞いて、わざわざ古新聞を引っ張り出して、手を真っ黒にしてゴシゴシやって、内側拭いたら外側が気になって、外側拭いたらまた内側が気になりだして……。「キリがないや」とケリをつけ、窓を見ないように雑巾を片付けて、汗かいたのでシャワーを浴びて、「さっぱりしたし、綺麗になったし、部屋も明るくなった、けど……、やっぱりこことあそこがまだちょっと……」
と、ティッシュでちょっちょっと拭いてみて、残った新聞紙でまた磨いてみて、「これでいいか!」と、いい加減諦めて、ニマニマしながら窓を見ながら、缶ビールをプシッ!っと開けたところで、だんだん空模様が怪しくなってきて、ポツポツとしてきたかと思ったら、そのうちざんざか夕立になって……。

慈海のほしい物リスト

いただきものは、全て阿弥陀様にお供えさせていただきます。
慈海は阿弥陀様からお下がりを頂きます。
ギフト券は"kuz333@gmail.com"宛で慈海に届きます。

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合掌 なんまんだぶ