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なんまんだぶ

2012年8月9日

「あはれ、あはれ」

先ほどの夕方、日課の水撒きをしていると、いつものごとく隣の家のおばちゃんが忍び寄る。

「ちょうどよかったー。聞きたいことがあるんやけどの(聞きたいことがあるんだけどね)

「なぁにー?」と慈海。前にも書きましたが、このおばあちゃんの質問は坊さん泣かせ。トンデモなく難しい質問をさらっと聞いてくる。

「"あわれあわれ"って、どこに書いてあるんかのぅ?」

「えぇ?!"あわれあわれ"??」

2012年8月7日

なぜ太陽も月も東から上って西に沈むのか?

先日お墓への納骨の際にお勤めして欲しいと、村の方から声をかけていただき、先ほどその納骨のお勤めをさせていただいてきました。

夏の日差し厳しい中での屋外でのお勤めになりますので、先方の方が「夕方のほうが涼しいと思うから」と、ちょうど夕日が沈む景色の中でのお勤めとなり、ご家族の方々と一緒に、佛説阿弥陀経を読誦させていただきました。

さて、お勤めもおわり、納骨も無事すんだところで、「せっかくですので短いお話させて頂きますね」と簡単なお話をさせていただきました。そのお話をここにも残しておこうかと思います。


2012年8月5日

浄土真宗は私の信心を必要としない。(「他力本願」の「他」はだれであるか?という話)

自分ではなかなか「自分はこれでいいんだ」なんて本当に思うことなんてできない。どんなに考えたって、どんだけ鏡に写した自分の姿を見たって、どんなに「これでいいんだ」と考えようとしたって、でもやっぱり、自分では「これでいいんだ」なんて、心の底から思うことなんてできない。

その慈海を「そのまま」と呼ぶ声がある。

慈海は、何も信じていない。坊さんになった今でも、佛を信じることなんてできない。極楽浄土というところがあって、死んだらそこに生まれるなんて、信じられるわけもない。もし、目の前に金色に光る佛さまが姿をあらわしてくださったとしても、この目で見たその光景を、信じることなんてできないだろうと思う。「幻覚を見ているのだ。おれはアタマがおかしくなったんじゃなかろうか。」そう思うことが関の山ではないかとおもう。

実際に、自分の目でみた世界というのは、本当にその世界が見えているわけではない、というのは、だまし絵を見れば分かるはずだ。人間は、自分が見たいものを見る。白いものを黒く見てしまうのが人間の脳みその構造だ。「あばたもえくぼ」ということわざもある。同じ夕焼けの空を同じ場所で同じ時間に見ていたとしても、その夕焼けの空の色を、黄色と答える人もいる。赤と答える人もいる。橙色と答える人もいる。紫と答える人もいる。青と答える人もいる。同じ物を見ていたとしても、人によってその見え方は違うのだ。

2012年8月3日

おじさんが、この世でやりのことしたこと。(白骨の御文章)

隣の家のご主人が数ヶ月前事故にあったそうです。乗っている車は大破して、意識も失ったものの、数日後には意識も取り戻し、大きな怪我もなく後遺症もなく、数週間前に退院されました。

数日前、家の玄関先を掃除してたらちょうどそのおじさんもいらっしゃって、「なんともないですか?」と声をかけると、「いやぁ、大変な目にあったよぉ。でもまぁ、ナントカ戻ってきたわぁ」と。そして、事故のあと意識がなかった時の話をしてくださいました。

「三途の川にはね、川みたいに水が流れてえんかったんやよ。なんていうのかな、水の渦みたいなのがぐるぐる渦巻いてるだけだった。へーんな光景やったなぁ。でな、ちょうど事故の三日前にこの前死んだ親戚の爺さんの納骨があったんやけど、その爺さんがその水の向こうにいるんやわ。ほかにも何人かいたなぁ。で、みんなして『帰れ、帰れ、お前はまだ来るの早い』と言うんやって。そんで気がついたら病室で寝てた。」

2012年7月29日

「お念仏だけやのぅ」(阿弥陀経さんの話)

暑い日が続いています。夕方庭に水まき。ついでに玄関先にも水をまいて、少しでも涼を感じさせてもらっています。

さて、今日も玄関先に水を撒いていると、隣のおばちゃんがひょこひょこと顔を出して、

「暑いのぉ。水まくと少しは違うのぉ。」
と始まる世間話。

その内に、

「それにしても、毎朝の、とんでもないことやなと目が覚めるんやぁ。今日も命くんなさった(くださった)なぁと。今日もまた生かしてくださるんやなぁと、おかげさんの毎日やなぁと、なんまんだぶ なんまんだぶ なんまんだぶ とでてくんなさるんやわぁ。」

(よわい)90近くのおばあちゃん。その人生いろんなこともあったでしょう。戦争もあった。震災もあった。病気のこどもを数十年看病して先立たれたこともあった。言葉では語りきることのできない、若輩者の慈海には想像も及ばないご苦労がたくさんたくさんあったと思います。

そのおばあちゃんの口から

「お念仏だけやのぅ」

と言わしめるのは、一体何なんでしょう。

2012年7月28日

「願」

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「願」

人の願いは未来のこと
佛さんの願いは今のこと
今まさに
働いて働いて働きかけていらっしゃる
私に願うおやごころ
彌陀の呼び声
南旡阿彌陀佛

2012年7月24日

「なんまんだぶ しながら安心して死んでけ。」

「仏教は、お前の話やぞ」
師は常に慈海にそう示してくださっている。

人のタメになる話は、「人」+「為」=「偽」の話である。しかし仏教で語られる話は偽の話ではない。仏教で語られているのは、真実の話である。真実の話とはなんであるか?それは、慈海自身の話である。この慈海を真実たらしめようとする働きの話である。真実などどこを探してもないような慈海が、真実そのものになっていく話である。仏教とは、決して妄想で妄想を形作っていく自分探しの道具でも、明日になればその時の状況によってどう転ぶかわからない幻のような世間の正義の後ろ盾でもない。

数年前、私の父がガンに倒れた。急遽入院した父は、手術を待つ数日の間、心細い時間を病室で送っていたという。多くの方が見舞いに訪れてくださった。花を持ち、お菓子や果物を持って、多くの方が優しく元気づける言葉を投げかけてくださった。それはその方々のお気持ちとして、父はとても喜んでいたし、ありがたいこと。

しかし、父の不安は周りの優しい言葉とは裏腹に、徐々に高まっていったようだ。

2012年7月23日

「影」

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「影」
光だけでは影はなかった
我が身だけでも影はなかった
慈海がいるから慈海に聞かす
佛の呼び声 なもあみだぶつ 

2012年7月21日

「糞」

「糞」

「糞」
どんだけ美味いもん
口に入れても
慈海の身からは
糞しか出て来ん
糞まみれの糞袋から
なんまんだぶ
あ、佛さんがでなさった

2012年7月17日

「死ぬ時に苦しゅうてうわぁとなってるときに、お念仏出るもんかのぅ」


夕方の水撒き。
予測してた通り隣のおばちゃんが出てきて、後生話(ごしょうばなし)。

「死ぬ時に苦しゅうてうわぁとなってるときに、お念仏出るもんかのぅ」
と聞かれたので、

「出る人もあれば出ない人もいるやろうけど、そんなことは問題やないやろうねぇ。平生業成、お念仏してるかどうかやないんか?そう思ったら今お念仏したらええよ。」
と話すと、

2012年7月16日

「口耳四寸」


「口耳四寸(こうじしすん)の学(がく)」という言葉がある。デジタル大辞泉によれば
《「荀子」勧学から。口と耳との間でする学問の意》聞いたことをそのまま人に伝えるだけの、身につかない学問。受け売りの学問。
ということらしい。(コトバンク>「口耳四寸の学」より)

上記の通り、耳に入ってきた言葉を、全く自分というフィルターを通さず、疑問や考えなしに耳から四寸下の口からそのままアウトプットすることを言うようだ。一般的にはあまり良い意味では使われない。

ところで、仏教の経典の殆どは「如是我聞(にょぜがもん)」 もしくは「我聞如是(がもんにょぜ)」という言葉から始まる。

2012年4月29日

「聞」


「聞」
見えんもんは 聞くしかしゃあない
百聞は一見にしかず というなら
百ぺん聞いたらよろしかろう
名となって我が口から飛び出て
我が耳に聞く佛のすがた
南旡阿弥陀佛

2012年4月8日

天にも地にも我ひとり

今日4月8日は「花まつり」です。降誕会(ごうたんえ)、潅仏会(かんぶつえ)などとも言われるお釈迦さまの誕生日です。

昔も昔、4月8日にお釈迦さまはお産まれになったです。

昔も昔、二千五百年前とも、三千年前ともいわれる遠い昔のおはなし。インドの北に釈迦族の国がありました。そこには浄飯王とその王妃摩耶夫人という方がいらっしゃいました。ある夜のこと、その王妃摩耶夫人の夢のなかに、6つの牙を持つ白い象が現れ、体の中に入っていったそうです。不思議に思い王と王妃は占い師に尋ねると、白い象は高貴な象徴。まさにこの夢はお世継ぎが生まれる吉報だとか。これはめでたいと王も王妃もお喜びになり、それから間もなくその夢のお告げ通り摩耶夫人は懐妊しました。
その後摩耶夫人は出産のために里帰りすることになりました。里帰りの途中、摩耶夫人一行はルンビニの園という場所でお休みになったそうです。春うららかなその日、ルンビニ園では花が咲き匂う中、摩耶夫人がふと木に咲いた花を取ろうと右手を挙げたとき、摩耶夫人のその右の脇から、子供がお産まれになりました。
生まれ落ちたその赤ん坊は、生まれたばかりだというのに、スクリと立ち上がり、自分の周りをぐるりと見渡すと、歩き出しました。そして、7歩足を進めた所で、右手で天を、左手で地を指さし、高らかに
「天上天下唯我独尊」
とおっしゃいました。
気がつくと、その周りにはあの夢で見た白い象を筆頭に無数の動物たちが集い、天には龍が踊り甘い雨を降らせ始めましたそうです。
これがお釈迦さまの誕生のお話です。昔も昔、4月8日の今日、お釈迦さまがお産まれになられ、この世にお出ましになられました。

右脇から生まれたってマジカヨ…

慈海のほしい物リスト

いただきものは、全て阿弥陀様にお供えさせていただきます。
慈海は阿弥陀様からお下がりを頂きます。
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合掌 なんまんだぶ