今は福井の片田舎で、一人でぶらぶらしている私ですが、昨年(2010年)の夏までは東京でインターネット関係の仕事をしていました。
多くの会社を転々としていましたが、ある一時期務めていた会社の近くに、自由に出入できるキリスト教の教会がありました。
色々なことがあり、精神的に不安定だった私は、お昼休みの時間を使って、頻繁にその教会の礼拝堂にこもり、十字架に向かってどうしたらいいかを訪ねていました。
騒がしく、ノイズあふれる外の世界とは違って、礼拝堂はシンとして、静けさが耳を刺す。
そんな空間で、ひとり薄暗い礼拝堂の中で、十字架を仰ぎ、どうしたら良いのか、どうしたら楽になるのか、どうしたらあの人を助けられるのか、どうしたら自分を救えるのかと、なんどもなんども「どうしたら」を繰り返していました。
不思議なもので、声が聞こえてくるような気がすることもありました。
泣きながら声を聞くのです。それは自分の声のようでもあり、本当に神の声のようでもありました。
不意に語りかけてくるその声は、いつも同じことを静かに言っていました。
「自分のできることをやりなさい」
自分がやらなければと思っていることをやってみればいい。
自分がやりたいと思っていることをやってみたらいい。
自分ができると思うことを、やってみなさい。
泣きながら、その声を聴き、泣きながら、その言葉を繰り返しつぶやいていました。
その後転職し、築地本願寺の近くの会社で働くことになりました。
その頃、ちょうどおばばさま(祖母)が往生しました。通夜の間、往ったおばばさまに、多くを問いました。
おばばさまが生きてきたことに、意味があったのか。お念仏は、おばばさまを救ったのでしょうか。
あんだけ
「なんまんだぶつ あんがたい」
と手をあわせていても、息子は離れ、嫁に疎まれ、かわいい孫もほとんど顔を見せず、夫兄弟友人に先立たれ、寂しい最後を迎えたのではないですか。私はなんてひどい孫でしたでしょうか。
多くを問い、そしておばばさまは、何も語りませんでした。死んでしまったのですから。
何も語れませんでした。
その後、ぽつぽつと、お念仏の味わいを教えてもらい、自らも味わって、その意味が知りたいと思い、少ないながらも本を読み、法話を聴き、真面目にお勤めをしてみたり、口癖のように自力のお念仏をひねり出したりするようになりました。
ある晴れた日、ちょっと汗ばむくらいの日差しの中、会社のお昼休みに築地本願寺の本堂にお参りに行きました。
本堂の中心にスラリとした立ち姿でこちらを見下ろす阿弥陀様の前、なんまんだぶつ なんまんだぶつ とつぶやいて、以前から念仏ヤクザと呼んでいる親戚の爺さんの「なんまんだぶ の意味というのはな、そのまま来いよ、間違わさんぞ、必ず救うぞ、という仏さんからの呼び声じゃ」の味わいを思い出し、また泣きました。
浄土真宗とか、仏教とか、他力自力とか、御恩報謝とか、そんなものはどうでも良くなりました。
キリスト教の礼拝堂の中で流した涙と同じように、泣きました。
私は私が許せなかった。
私は私の力のなさが悔しくて仕方がなかった。
そして、その悔しさを救う術はないと思っていた。
その悔しさを、キリスト教の神様も、ほとけさんも、
「こうしなさい。」
とは答えませんでした。
答えはいつも沈黙でした。
ただ、私の力のなさをそのまま、じっと見つめているだけでした。
しかし、その沈黙は私に語るのです。
救いの方法も、助かる術も、どうしたら良いかなんていうことは、一言も語りかけてきませんでした。
ただ、沈黙が、「そのまま来なさい」と私の肩を抱くのです。
私の苦しみを、救う方法は、誰も授けてはくれない。
誰も、私を救うことはできないし、誰も私を導いてはくれない。
ただ、そこに「苦しみがある」ということを、教えてくれる。
そして、その苦しみを、一緒に抱きしめてくれる存在がある。
宗教は沈黙だと思うのです。
宗教は、沈黙で抱きしめる、そんな存在であって欲しい。
語るのは、つねに私の方から。
沈黙に向かって語り、私の口から、こぼれてくる音。
それが、私には、念仏なのかもしれない。
なんまんだぶ なんまんだぶ なんまんだぶ と、阿弥陀ほとけの「沈黙のすくい」を聞く。
なんまんだぶ なんまんだぶ なんまんだぶ と、騒々しい私のこの口から、すくいの呼び声を、聞く。
それが、なんまんだぶ ということなのかもしれない。
けど、そんなことは、なんまんだぶ の意味っていうのは、実はどうだっていいこと。
「沈黙のすくい」を 、ただ聞いているだけ。
合掌 なんまんだぶ