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なんまんだぶ

2011年9月3日

今、多くの人に聞いてもらいたい福井吉崎「念力門」の話 <第2回(全3回)>

3.本願寺の門を吉崎西別院へ

福井市街は3年の間に、大空襲、そして記録的な震災により、2度破壊されました。
震災が発生した当時はすでに戦争は集結していたものの、日本はGHQの統治下にありました。
日本国内では大きなイデオロギーの転換が進められ、政治的にも社会的にも大混乱の時代でした。そんな社会情勢の中、震災により、およそ3,800人の方が亡くなり、36,000軒以上の家屋が倒壊したといいます。戦争が終わり、大空襲の被害からようやく復興の芽が育ちかけてきたその時、再び街は壊滅状態になりました。

被災後九頭竜川で水浴びをする方々
右上は地震のあとくずれ落ちた国鉄の鉄橋

まさに、この世は無常。


ところで、震災があった翌年、京都にある西本願寺には、戦後の都市計画の一環で、北の総門を取り壊すという話が出ていました。この、北の総門は、通称「天狗門」と呼ばれ、1591年(天正19年)に豊臣秀吉が西本願寺に寄進し、1864年(元治元年)には、蛤御門の戦で発生した火災から本願寺の堂宇を守ったことで、別名「火止の御門」とも呼ばれていた、歴史的にも名高い御門でした。

当時の天狗門(火止の御門)

「どうせ取り壊すのであれば、吉崎にください」

そうおっしゃったのは、当時吉崎別院の輪番であった巨橋さんでした。

震災により、吉崎御坊跡の麓にある、浄土真宗本願寺派吉前西別院の山門も倒壊し、そのままの状態になっていました。巨橋さんは、この倒壊した山門の代わりに、この天狗門(火止の御門)を、吉崎西別院に移築したいと、本願寺にお願いしたそうです。そして、その願いは認められ、移築することが決定しました。

早速移築の計画が進められましたが、当時はまだ資金も物資も乏しい時代です。
そこで、門徒(浄土真宗の信者)の方々に声をかけ、歩いて京都の西本願寺から、福井の吉崎西別院まで運ぶこととなりました。

4.北へ……

「京都から福井の吉崎まで歩いて門を運ぶそうだ」
この話は多くの方に伝わりました。
そして、「なにかしなければ!」という思いで集まった門徒の数100余名。荷車16両に解体された天狗門(火止めの御門)を積み込み、「吉崎念仏報恩団」として、福井まで向かうこととなりました。
多くの方に見送られ、吉崎念仏報恩団は、京都西本願寺を出発しました。

総勢100余名で本願寺を出発
草鞋姿で、南無阿弥陀仏の名号を掲げ、お念仏と共にただひたすら北へ向かう吉崎念仏報恩団。解体された天狗門を載せた荷車の車輪は、物資が少ないことから、戦闘機の車輪を使い回したものもあったそうです。

草鞋姿の一行。荷車の車輪には戦闘機の車輪を使い回したものも。
沓掛橋を行く吉崎念仏奉仕団
進む道には多くの方々がお念仏をしながら見送ってくださったそうです。一行が通り過ぎる時、たまたま野良仕事をしていた方が、慌ててその作業をしていた手を休め、道脇に正座をして、「なんまんだぶ なんまんだぶ なんまんだぶ」と手を合わせてお念仏をされる方々。吉崎念仏報恩団の一行も、お念仏を称えながら、北へ北へとひた進みます。

宿泊先は、道中のご門徒が家を開放してくださいました。握り飯を山ほど用意し、布団をならべ、一行を暖かく出迎えてくださったそうです。朝になり出発前になると、「徹夜で編んだで使ってください」と草鞋を抱えて持ってきてくださる方もいらっしゃったそうです。

現代と違って、道は綺麗に舗装されていません。素歩きならともかく、重い荷車を押しては引いて進むには、特に峠を超えるときは大変だったでしょう。その時、一行の口からは恩徳讃がこぼれてきます。みんなで恩徳讃を口ずさみ、「身を粉にしても報ずべし」「骨を砕きても謝すべし」と、弥陀如来への御恩報謝の気持ちが、一行の足を前へ、前へと進めます。

恩徳讃
(前半部分の節が当時歌われた節と思われます)
京都から滋賀県へ、琵琶湖の東側を北へ向かい、難所であった峠を超えてようやく福井県に入ります。疲れが溜まっていたでしょう。それでもひたすら北へ北へと向かう一行。そして、ようやく福井市街へ入ったその時、数千名の人たちが一行を迎えました。

空襲、震災と、二度にわたって壊滅状態になった福井市街。世の無常に打ちのめされ、暗澹たる思いが渦巻いていた市街が熱狂に包まれます。無数の人達が歓声を上げながら一行を出迎え、労を労います。そして多くの人達が我先にと荷車を押し始め、一行に加わります。そして、多くの方々が、手を合わせ涙をこぼしながら「なんまんだぶ なんまんだぶ なんまんだぶ」と繰り返しています。

吉前西別院は、もうあと少しです。


『今、多くの人に聞いてもらいたい福井吉崎「念力門」の話』
<第1回> <第2回> <第3回>


本シリーズは、内容を再度精査し、新資料を加えて再構成し、この聞見会サイト内に「念力門 - 念仏が運んだ天狗の門」として、連載開始しました。そちらもどうぞご覧ください。

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合掌 なんまんだぶ