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なんまんだぶ

2011年12月21日

今、多くの人に聞いてもらいたい福井吉崎「念力門」の話 <第3回(全3回)>

5.念力門

戦争、そして震災で多くの方が亡くなりました。多くの家屋が倒壊しました。この世は無常です。どれだけ幸せな毎日を望んだとしても、どれだけ平和な日常を望んだとしても、人の思いだけではどうしようもできない、時として、儚い現実が唐突に襲ってきます。それは当時だけの話ではありません。今から約2500年前のお釈迦様の時代でも、約800年前の親鸞聖人の時代でも、約500年前の蓮如上人の時代でも、約60年前の戦後の時代でも、そして現代でも、それは変わりません。「生老病死」の苦しみから、私たちはどうしても逃れることができません。

しかし、時代を超えて、「なんまんだぶ」と念仏を繰り返しながら、この無常の世界を、変わらぬ仏の慈悲の呼び声を聞きながら、生きていった人々がいます。16両の荷車に運ばれる天狗門の周りには、無数の人の口から溢れる、たった一つのお念仏がこだまします。


「なんまんだぶ なんまんだぶ なんまんだぶ なんまんだぶ なんまんだぶ ……」

きつい坂道を超えるときには、恩徳讃の唄を掛け声にして、力を一つにして進みます。

「如来大悲の恩徳は 身を粉にしても報ずべし 師主知識の恩徳も 骨を砕きても謝すべし ……」

天狗門(火止めの御門)に、多くの人の思いと、お念仏が染みていくようだったに違いありません。この門は、すでにただの山門ではありません。お念仏にすがる無数の思い、お念仏に生かされる無数の人生、それらすべてを、そのまま包みこむお念仏の力、「念力門」となっていました。

福井市街を過ぎ、戦争と震災で沈みきった町々に、お念仏を響かせながら進むと、北潟湖が見えてきました。目指す吉崎の地は、この湖の北端です。
現在の北潟湖(初夏)



5.吉崎到着

その昔、蓮如上人もこの北潟湖を見ながら吉崎の地へ辿り着かれました。そして、この湖畔を多くの門信徒の方々が歩いて吉崎御坊まで通われました。そして、この時、お念仏響かせながら天狗門(火止めの御門)、念力門は吉崎の地をめざしました。
そして、京都本願寺を出発し、はるばる250キロ。100余名の念仏奉仕団と、道中を支えて下さった多くの門信徒の方々、数えきれない方々の声援と応援、地べたに正座して合掌しお念仏をしながら見送った多くの方々、そして、無数のお念仏とともに、昭和24年(1949年)11月某日、とうとう念力門は吉崎の地にたどり着きました。
到着後再び組み直された「念力門」
それから、60年以上の月日が過ぎました。

今では吉崎への参拝者の数も減り、この念力門の話を知る人は、地元福井の人でもほとんどいなくなってしまいました。福井の街を歩くと、戦争に焼け、震災でまた焼けた当時の写真や記録が、まるで嘘のように感じます。もう、当時の面影はまるでなくなってしまいました。

しかし、このアスファルトの下には、確かに、念力門が通った地面があります。無数の人々がお念仏をつぶやきながら踏み固めていった地面があります。そして、その上で、私たちは今、現代の私たちのそれぞれの人生を、歩んでいます。

6.忘れるということ。永遠ということ。

2011年3月東北で大きな地震がありました。地震と津波で多くの方が亡くなりました。今世間では復興が叫ばれています。原発の問題も叫ばれています。しかし、数十年、数百年するとまたこの出来事は忘れられてしまうのでしょう。しかし、今の私たちが歩む人生の上に、また新しい人生が生まれ続けていきます。たとえ、今の私たちの人生が忘れ去られたとしても。

震災だけではありません。事故で亡くなる方もいます。事件で命を落す方もいます。病に倒れるかたもいます。自分で命を断つ人もいます。老いてこの世を去っていく人もいます。無数の人が、無数の命が、今を生きています。そして、私達が忘れていったように、私達もまた忘れられていきます。どんな人生であっても。

それは、とても寂しいことのように思えます。とても虚しいことのようにも思えます。諸行無常の世を生きる私たちの人生には、命には、まるで意味が無いように思えてしまう時があります。でも、どの人生にも、どの命にも、「あなたはあなたでよかった!」と叫ぶ声があります。

数百年の時代を超え、天狗門(火止の御門)は念力門となり、今もまだ本願寺吉崎別院の山門として、ひっそりと佇んでいます。ですがこの門も、またいずれ朽ちて土となるでしょう。念力門を京都本願寺から福井吉崎の地へ歩いて運んだこのお話も、いずれ忘れ去られていくでしょう。諸行無常のこの世では、それは当たり前のことで、何の不思議もないことです。

しかし、決してそれは消えて無くなってしまうということではないと、慈海は思います。

現在(2011年冬)の「念力門」
慈海は、念仏者です。ですから、なんまんだぶ とお念仏をします。いろんな思いのなかで、なんまんだぶ なんまんだぶ なんまんだぶ と繰り返しています。念力門を運んだ方々も、お念仏をされました。念力門を見送った方々も、お念仏をされました、念力門をくぐっていった方々も、念力門のいわれを知らない方も、無数の方々が、無数の思いの中で、なんまんだぶ と繰り返してきてきました。そのお念仏は、どれひとつとして、別のお念仏ではありませんでした。思いは様々です。人も様々です。人生も様々です。生老病死の苦しみも、人それぞれです。たった一つとして同じものはないその生命から、唯一不変の「なんまんだぶ」が同じようにこぼれてきて、そして今もどこかでつぶやかれています。これからも、それは続いて行きます。

色も形も記憶も記録も、永遠ということはありません。しかし、「あなたはあなたでよかった!」と佛から呼ばれている命は、すでに永遠の中にいました。

どうぞ、よければ吉崎の地へ足を運ばれてみてください。そこでは、すでに朽ちかけた念力門があなたを出迎えてくれます。そして、諸行無常の中で永遠を生きる「なんまんだぶ」の話を、念力門に聞いてみませんか?無数の方々と同じ「なんまんだぶ」をつぶやきながら……

合掌

※念力門のお話は、本願寺WEB TV「お坊さんがゆく!」でも取り上げられています。そちらでは実際に念力門を運ばれた方へのインタビューや、貴重な当時の映像も紹介されています。ぜひご覧になってみてください。

  1. 「御坊さんがゆく!<Vol.10>|天狗門、北へ!京都編」
  2. 「御坊さんがゆく!<Vol.10>|天狗門、北へ!滋賀編」
  3. 「御坊さんがゆく!<Vol.10>|天狗門、北へ!福井編」
  4. 「御坊さんがゆく!<Vol.10>|天狗門、北へ!完結編」

『今、多くの人に聞いてもらいたい福井吉崎「念力門」の話』
<第1回> <第2回> <第3回>


本シリーズは内容を再度精査し、新資料を加えて再構成し、この聞見会サイト内に「念力門 - 念仏が運んだ天狗の門」として、連載開始しました。そちらもどうぞご覧ください。

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合掌 なんまんだぶ