戦争、そして震災で多くの方が亡くなりました。多くの家屋が倒壊しました。この世は無常です。どれだけ幸せな毎日を望んだとしても、どれだけ平和な日常を望んだとしても、人の思いだけではどうしようもできない、時として、儚い現実が唐突に襲ってきます。それは当時だけの話ではありません。今から約2500年前のお釈迦様の時代でも、約800年前の親鸞聖人の時代でも、約500年前の蓮如上人の時代でも、約60年前の戦後の時代でも、そして現代でも、それは変わりません。「生老病死」の苦しみから、私たちはどうしても逃れることができません。
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なんまんだぶ
2011年12月21日
今、多くの人に聞いてもらいたい福井吉崎「念力門」の話 <第3回(全3回)>
カテゴリ:
吉崎念力門

5.念力門
戦争、そして震災で多くの方が亡くなりました。多くの家屋が倒壊しました。この世は無常です。どれだけ幸せな毎日を望んだとしても、どれだけ平和な日常を望んだとしても、人の思いだけではどうしようもできない、時として、儚い現実が唐突に襲ってきます。それは当時だけの話ではありません。今から約2500年前のお釈迦様の時代でも、約800年前の親鸞聖人の時代でも、約500年前の蓮如上人の時代でも、約60年前の戦後の時代でも、そして現代でも、それは変わりません。「生老病死」の苦しみから、私たちはどうしても逃れることができません。
しかし、時代を超えて、「なんまんだぶ」と念仏を繰り返しながら、この無常の世界を、変わらぬ仏の慈悲の呼び声を聞きながら、生きていった人々がいます。16両の荷車に運ばれる天狗門の周りには、無数の人の口から溢れる、たった一つのお念仏がこだまします。
戦争、そして震災で多くの方が亡くなりました。多くの家屋が倒壊しました。この世は無常です。どれだけ幸せな毎日を望んだとしても、どれだけ平和な日常を望んだとしても、人の思いだけではどうしようもできない、時として、儚い現実が唐突に襲ってきます。それは当時だけの話ではありません。今から約2500年前のお釈迦様の時代でも、約800年前の親鸞聖人の時代でも、約500年前の蓮如上人の時代でも、約60年前の戦後の時代でも、そして現代でも、それは変わりません。「生老病死」の苦しみから、私たちはどうしても逃れることができません。
2011年9月3日
今、多くの人に聞いてもらいたい福井吉崎「念力門」の話 <第2回(全3回)>
カテゴリ:
吉崎念力門

2011年9月1日
今、多くの人に聞いてもらいたい福井吉崎「念力門」の話 <第1回(全3回)>
カテゴリ:
吉崎念力門

1.北陸における念仏信仰の拠点であった「吉崎御坊」
福井県と石川県の県境に、吉崎御坊跡という史跡があります。
ここは、浄土真宗中興の祖と言われる、蓮如上人(本願寺第八世法主)という方が、北陸における布教の拠点として建立した坊舎でした。
旧越前国北潟湖畔の吉崎山頂上に建立された吉崎御坊には、多くの門徒(浄土真宗信者)が集まり、賑わい、寺内町も発展して行きましたが、その後一向一揆の拠点にもなったことから、永正3年(1506年)に朝倉氏によよって破壊されました。
しかしその後、吉崎山のふもとには、本願寺派(お西)の吉崎西別院と、大谷派(お東)の吉崎東別院が建立され、蓮如上人往生後も。上人を慕う全国の門徒衆が多く参拝に訪れ、北陸地方における信仰心の拠り所の場所となっておりました。
大きな地図で見る 吉崎御坊跡の位置
蓮如上人 |
ここは、浄土真宗中興の祖と言われる、蓮如上人(本願寺第八世法主)という方が、北陸における布教の拠点として建立した坊舎でした。
旧越前国北潟湖畔の吉崎山頂上に建立された吉崎御坊には、多くの門徒(浄土真宗信者)が集まり、賑わい、寺内町も発展して行きましたが、その後一向一揆の拠点にもなったことから、永正3年(1506年)に朝倉氏によよって破壊されました。
しかしその後、吉崎山のふもとには、本願寺派(お西)の吉崎西別院と、大谷派(お東)の吉崎東別院が建立され、蓮如上人往生後も。上人を慕う全国の門徒衆が多く参拝に訪れ、北陸地方における信仰心の拠り所の場所となっておりました。
大きな地図で見る 吉崎御坊跡の位置
海までの道を歩いたロードストーリー的な思い出話
カテゴリ:
ひとりごと


ヨタロウは、よく言えば、自分の世界をしっかりと持った個性ある性格の持ち主ですが、悪く言えば、自分勝手で頑固なやつでした。
彼とは中学校時代からの友人で、とても変なやつでしたが、なぜか私とウマが合い、気がつくと、いつもつるんで悪さをしたり、悪さをしたり、大人になっても一緒に悪さをしたりしてばかりいました。
あるとき、中学時代担任だった先生が、教師をやめてサーフショップを始めたのがきっかけで、ヨタロウと私はサーフィンをはじめました。
毎週のように二人で海に行って、波乗りの楽しさ、テクニックについて分析したり、アドバイスしあったり、そして自然と遊ぶことの精神性的なことを語り合ったり、自分の将来の夢とか語ってみたり、そういう時期がしばらく続きました。
しかし、ある出来事をきっかけに、私の事情が大きく変わって行きました。
2011年8月31日
宗教は沈黙であってほしい。~「沈黙を聞く」というということ~
カテゴリ:
ひとりごと

今は福井の片田舎で、一人でぶらぶらしている私ですが、昨年(2010年)の夏までは東京でインターネット関係の仕事をしていました。
多くの会社を転々としていましたが、ある一時期務めていた会社の近くに、自由に出入できるキリスト教の教会がありました。
色々なことがあり、精神的に不安定だった私は、お昼休みの時間を使って、頻繁にその教会の礼拝堂にこもり、十字架に向かってどうしたらいいかを訪ねていました。
仏教どうでしょう?
カテゴリ:
口耳四寸記

今近くに窓ガラスはありますか?どうでしょう?ピカピカでしょうか?
窓の汚れは気になるもので、一度気になったらもうダメで、「ざっと拭いとこう」なんて思ったらもう終わりです。ざっと拭いたら隅の汚れが、隅を拭いたら拭きスジが、乾拭きしたら拭きムラが……。
「新聞紙で拭いたらいい」と聞いて、わざわざ古新聞を引っ張り出して、手を真っ黒にしてゴシゴシやって、内側拭いたら外側が気になって、外側拭いたらまた内側が気になりだして……。「キリがないや」とケリをつけ、窓を見ないように雑巾を片付けて、汗かいたのでシャワーを浴びて、「さっぱりしたし、綺麗になったし、部屋も明るくなった、けど……、やっぱりこことあそこがまだちょっと……」
と、ティッシュでちょっちょっと拭いてみて、残った新聞紙でまた磨いてみて、「これでいいか!」と、いい加減諦めて、ニマニマしながら窓を見ながら、缶ビールをプシッ!っと開けたところで、だんだん空模様が怪しくなってきて、ポツポツとしてきたかと思ったら、そのうちざんざか夕立になって……。
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慈海のほしい物リスト
いただきものは、全て阿弥陀様にお供えさせていただきます。
慈海は阿弥陀様からお下がりを頂きます。
ギフト券は"kuz333@gmail.com"宛で慈海に届きます。
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合掌 なんまんだぶ
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