「仏教は、お前の話やぞ」
師は常に慈海にそう示してくださっている。
人のタメになる話は、「人」+「為」=「偽」の話である。しかし仏教で語られる話は偽の話ではない。仏教で語られているのは、真実の話である。真実の話とはなんであるか?それは、慈海自身の話である。この慈海を真実たらしめようとする働きの話である。真実などどこを探してもないような慈海が、真実そのものになっていく話である。仏教とは、決して妄想で妄想を形作っていく自分探しの道具でも、明日になればその時の状況によってどう転ぶかわからない幻のような世間の正義の後ろ盾でもない。
数年前、私の父がガンに倒れた。急遽入院した父は、手術を待つ数日の間、心細い時間を病室で送っていたという。多くの方が見舞いに訪れてくださった。花を持ち、お菓子や果物を持って、多くの方が優しく元気づける言葉を投げかけてくださった。それはその方々のお気持ちとして、父はとても喜んでいたし、ありがたいこと。
しかし、父の不安は周りの優しい言葉とは裏腹に、徐々に高まっていったようだ。